病から何をもらったのか?

ここでは私が脳卒中から回復してゆく途上で心身ともに苦しんだ時に自分を立てなおすきっかけになった「病」への向かい方をご紹介したいと思います。私の場合少し特殊かもしれませんが考え方を変えただけで生きるのが楽になることもあると知りました。しばらくしたら、同じ様なご経験をお持ちの皆さんからもご投稿頂けるようにして行きたいと考えています。

<目次>
NO.1 身体からの警告1
NO.2 身体からの警告2
NO.3 身体からの警告3
NO.4 病から何をもらったのか
NO.5 人生の起承転結
NO.6 人生はたった一度きり
NO.7 「思ったことは実現する」1
NO.8 「思ったことは実現する」2
NO.9 「あなたの夢は?」
NO.10 「泰然自若」

-----NO.10で一旦終わりです。------


<NO.1身体からの警告1:01/01/29>

「病気」は本当に嫌なものです。特に後遺症の残る病気になることは出来ることなら経験したくないものです。本当に「まっぴらご免」です。

でも、曲がりなりにも自分が最悪の状態を切りぬけて静かに自分を振り返ってみると病気をしてそして麻痺を抱えながらも命を取り留めたのは必然だったのかも知れません。今までの自分の生き方が間違っていたことを知らせる身体からの警告とも思えてきます。発症前後から振り返った自分のこころの中身をご紹介するところから始めてみようと思います。
私に対する身体からの警告は振り返ってみると「発症当日のお昼」「数ヶ月前から2週間前までの間」「丁度1年前」そして「40年ほど前の出来事からの影響」と4段階あったと思われます。

<発症当日のお昼>
発症当日の朝、神戸の自宅を出る時は元気よく出かけました。でも気持ちの上では不安が一つありました。糖尿病で長期入院していた母が退院したばかりでしたがその体調はとても自宅で療養できるレベルではなかったからです。
その日は出張のため東京にいました。得意先を回っている時不思議な不安がありました。「自分は今日死ぬ」というとんでもない声が聞こえたのです。得意先の方と食事をしている時もお茶を飲んでいるときも時々ふとその声が聞こえてきました。その時、私は「今死ぬのは最悪のタイミングだ」と感じたのを覚えています。そしてその夜予定されていた宴席を断ろうかなと一瞬迷いました。今でもどうしてそんな声が聞こえたのか分かりませんし、自分がどうしてそういう反応をしたのかも分かりません。
はっきりしているのはその夜、発症した瞬間「あ!やっぱり来たか。」と思ったことです。昼間の出来事は気のせいではなくて警告だったんだと始めて分かりました。
それからはそれは大変の連続でしたが今は元気に生きています。

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<NO.2 身体からの警告2:01/02/07>
<数ヶ月前から2週間前までの間>
発症の約2ヶ月前、仕事中に耳の中で羽虫の入ったような「ブーン」 という音が何度か聞こえました。掛かり付けの内科に出向くと耳鼻科を 紹介されました。検査の結果は異常なし。自分では納得のいかない結論にもう一度内科医に見てもらおうと一瞬思いましたが何だか面倒でそのまま帰りました。あれは多分出血の音だったと思います。

その後特別な自覚は無かったもののいつも何となく疲れを感じていました。栄養ドリンクを頻繁に飲んだ記憶があります。発症の2週間前に会社から休みを頂いて近所の有馬温泉に家内と二人出かけました。今にして思えば相当疲れを感じていたのでしょう。仕事も課題が山積みでした。母の退院も決まったので家内のご機嫌を取ろうとしていたのかも知れません。
自分ではこの数年間風邪も引かず丈夫になったなあ、あんなにひどかった肩こりも最近は無くなったし・・・と思っていたのです。
そんなことを思いながらお湯に浸かっていました。

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<NO.3 身体からの警告3:01/02/14>

自分の気持ちをよく振り返ってみると丁度発症1年前に「絶望感」のようなものを感じたことを後で思い出したのです。
それは93年の11月中旬(まさに発症1年前)にお得意先の専務と部長さんと共にゴルフに行ったときのことでした。もう長いおつきあいでしたからそんなに気を使いすぎることもありませんでした。

朝から少し冷たい雨が降っていました。
僕はへたくそですからラウンド前に専務さんはアプローチの仕方など丁寧に教えてくれました。そして、ラウンドしている最中に急に「激しい虚無感」におそわれました。

全然楽しくないのです。「一体、自分はこういう仕事を本当にしたいのだろうか?」という疑問がむくむくと沸いてきました。
やがてラウンドが終わり帰宅の途上につきました。誰かと話したくて何人かの友人に電話しましたが、残念ながら皆留守でした。

そう感じたのは冷たい雨のせいだったのかも知れません。ゴルフのスコアが良くなかったせいかも知れません。仕事に疲れていたせいかも知れません。
でも振り返ってみるとあの時自分の病気のスイッチを入れてしまったような気がしてなりません。
自宅に戻って家内にそのことを話しました。家内もやはりあの時の僕の様子にただならぬものを感じたようで、病気後に「あれからおかしい」と言っております。

その後も多分人一倍仕事をしてきたと思っていますが、時に酒を飲んだときなど非常に「厭世的な」発言をしていたことを思い出します。「生きていることが何だか虚しい」というようなことを友人や同僚に言った記憶があります。仕事の仕方も荒れていたのでしょう。

「病」の意味を考えるとすれば、まず「健康とは何か?」が大切でしょう。これを言葉で説明するのは難しい。
例えて言えばそれは「自転車のバランス」のようなものと思っています。どんな無茶な乗り方をしても全体的にスピードとバランスが取れていればこけることなく自転 車は前に進んでゆきます。自転車で転けるときというのは大抵「何気ない不注意」が発端になったりします。ちょっとした脇見やよそ事への関心。小石を踏んだときなどでしょうか。
そうした「ほんの些細な気持ちの傷のようなもの」が身体に振動してやがて大きな病気をもたらすのではないか?と僕は思っています。

ちょっと状況は変わりますが・・・
去年、ある人に本をお借りしました。「夜と霧」です。ナチスドイツに虐殺されたユダヤ人の収容所の話です。著者は心理学者でこの本により世界的に有名になった方です。その中にあの過酷な条件の中で生き残る人と死んでしまう人の違いは「未来を持っているかどうか」にかかっていると言う意味のことが書いてありました。「未来を失った瞬間からその人の精神は崩壊を始める。」ということのようです。

もう一例。
僕がこの病気になったとき、遠い親戚の方からお見舞いを頂きました。彼は戦時中「シベリア抑留」の経験を持った方です。「極限状態での生死を決めるのは気持ちのつ よさだけだ。決して体力では生き延びることは出来ない。」とのお言葉を今も忘れることは出来ません。

あの時、僕は自分が「未来」を失って自分の気持ちが萎えていることに気がついたのではないかと思っています。

後遺症の残る病気をして今更何を振り返っても始まらないという方もおられるでしょう。しかし、僕は自分の軌跡をたどることはとても重要な回復手段だと考えるようになりました。何故なら僕はこれから生きていこうとしているからです。

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<NO.4 病から何をもらったのか:01/02/21>

不思議に最近(3年前)知ったことですが・・・
僕は1歳半で父と死別しています。そして、いろんな事情で母ともその直後に生き別れとなりました。

そして、僕は父の姉を母として育ちました。養父母はこのことを生前何も言ってくれませんでした。でも田舎のことですから、僕は小さな頃から感づいていました。いや記憶には無いけれどちゃんと知っていたんだと思います。

子供の頃僕は喘息で随分悩みました。喘息というのはふつうアレルギー反応と言いますが振り返ってみますとどう考えても「こころの病」です。よく夫婦仲が悪いとそういう子供になるとか言われますが「さもありなん」です。
僕はとても可愛がってくれたこの養父母が何故かずっと好きになれませんでした。端からはこの2人に反発するように喘息をしていたように見えたことでしょう。

もはや昔の自分の気持ちになることは出来ませんがやはりどこかで「本当の母」がいつか向かえに来ることを望んでいたのではないかと思うのです。それが「喘息の原因」ではなかったかと大病してみてから感じられるようになりました。子供というのは大人のように口で表現出来ないし、その分身体で表現してしまうのだろうと思います。

そしてこの「サイン」としての病気は子供心に癖として染み込むのでは無いだろうか?とも思えるのです。「病気をすることで言うに言われない心の奥底の願望を表現してしまう。」

僕の場合、「喘息によって母が向かえに来てくれるかも」という願望が密かに働いたものでは無かったか?

考えすぎでしょうか?

「人生につまずきかけた時、子供の頃のこの癖は大人になっても出てくるようです。」これはある大医学者の言葉です。彼によれば恥ずかしながらこういうことが起きるのは「大人になりきれていない人」なんだそうです。

自分の「病」を振り返った時、「どうして生死に関わる状態になったのだろう?」という疑問の解答の一つに出会ったように感じています。

僕の場合は今回の病気もやはり「母に会うための身体の欲求であったのではないか」と思えてなりません。何故なら2年前、僕が薬の副作用でおかしくなった時、家内がさすがにあきらめかけて親戚に連絡を取ったのがきっかけで「実の母」に41年ぶりに会うことが出来たからです。 まるでTV番組みたいですが本当の話です。 それから、この3年間、ゆっくりゆっくりと失われた時間を埋めるかのように手紙のやりとりをしたり、電話をしたりしています。これは僕の「極めて特殊な体験」なのでしょう。あるいは自分がそう思いたいだけなのかも知れません。

でも「因果」というものは必ずあるものだと思います。
「病」になるにはそれ相応の「原因」があるはずですし、それが身体的なものだけでなく「精神的な」ものであることもあり得ると思うのです。
その根本的な「原因」は人それぞれでしょうが、それを自身で探り当てるということが「癒す」ことであり、「病の意味」はそこにあるのではないかと思っています。

ですから、「病」は必ずしも悪いものではなく、本当の自分の根元的な欲求を見つめ直す絶好の機会ではないかと思えてなりません。

これが僕自身が出した「病」に対する一つの解答です。間違いかも知れません。
ただ病に陥った心身を「癒す」ためには決して手術や薬やリハビリや時間を待つだけではなく病の根本原因を見つめ直すことも一つの方法ではないでしょうか。

事実・・・
僕は母と再会してから身体は一段と楽になりましたしあの時、再会出来なかったら僕は立ち直れなかっただろうと思われます。そして不思議に自分でも持て余していた養父母に対する妙なわだかまりが消えてゆきました。そして、同時に自分が大病したことに対して何だか納得が行くようにもなりました。

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<NO.5 人生の起承転結:01/02/27>
僕がリハビリ病院を退院して最初に行った指圧の先生はこう言いました。「人生の起承転結を考える絶好の機会に恵まれましたね。」僕はその時「へー、面白いこと言うなあ」と思っただけです。
でも次第に「病」の意味について考えていくとこの言葉の重さが理解できるようになってきました。
時間が経ってもなかなか体調が戻らない。いつも何かを恐れて生きている自分が情けない。
何が問題なのだろうか?

気がつくと僕はすごく後ろ向きに生きていました。一応社会復帰はしましたがうまく出来たとは思えませんでした。自分の本当の居場所もそこにはないことも次第に分かりました。
「あ、病に負けている」

そう思いました。自分が生き生きと生きていないことは明らかでした。自分の生き方は大病する前と同じでした。「厭世的」でしかもどこか心の片隅で「母」を求めていました。こんなことを続けていたらどうなるだろう。結果は見えています。もう既に 警告を受けた経験がありましたから。
「人生の起承転結」を考え始めたのはそんなことからでした。

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<NO.6 人生はたった一度きり:01/03/07>

倒れた時が自分の原点だとすると、1994年39歳で突然倒れるまで僕は自分は死なないものだと考えていたのでしょう。周りの状況からもう自分は死ぬに違いないと感じたとき、何の覚悟も出来ていないことにうろたえました。「えっ、あっけないもんだな。」とだけ思うのが精一杯の状態でした。人間死ぬにはやはり覚悟をしておく必要があることを痛切に感じました。
あの時僕がもうひとつつくづく思ったのは「人生はたった一度きりしかない大切なもの」だと分かったことです。そんな大切なものに対してなんといい加減な誤魔化しの人生を送ったのだろうかと自責の念にかられました。

この際、自分の生き方を変えてみようと思いました。折角拾った命ですから起承転結の見直しを本気ですることにしました。一番変えないといけないことは「人との比較の中で生きる」ことです。もう一つは「損得という価値基準だけでは不毛である」と言うことでした。自分がこれまで一番疲れていたことがこれだったと気がついたからです。
随分と堅い話になりましたが、そういうことです。「絶対的な目標を持って生きる」 「損得には惑わされない」これしか自分がたった一度きりの人生を全うして行くことは出来ないように思ったのです。これが良いかどうか分かりませんがあの時生死の境で直感したことですからそんなにはずれたことではないと思っています。同じ立場の皆さんには少し分かって頂けると思っております。如何でしょうか?

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<NO.7 「思ったことは実現する」1  01/03/14>
随分と進んできました。もう7回目ですね。少しは役に立っているのでしょうか?
心配してもしようがないので先に進みます。生き方を変えるといっても現実の世界はそう自分の思い通りにいくはずがありません。ましてや病気を抱えて定期的に具合が悪くなっていてはどうしたら良いものかと何度も考えこんでしまいました。
ある時ふと目に入ってきた言葉がありました。
「思ったことは実現する」
そんなことが出来たら超能力者です。当然疑いました。でも今はこれは真実であると受け止めています。実際「思った」ことにすべて次第に近づいてきたものですから。

これを証明する実例があります。アメリカでの話です。

死刑囚ばかりの刑務所で、ある医学の実験への参加が募集されました。 この実験に参加すれば家族に100万ドル渡すことを約束するものです。3人の死刑囚が手を上げました。そして早速実験は始まりました。
3人は目隠しをされます。そして医師はこう言います。「この実験は人からどれだけの血液が流出したら死に至るかを実験するものです。」次々に準備は進み、手首にナイフが入れられます。そして被験者のベッドの横にはバケツが置いてありそこに噴出した血液が落ちるようになっています。
  実はこれはすべてお芝居で被験者には手首の冷たい感触とバケツに落ちる夥しい血液の擬音を聞かせるのです。

さて、あなたはどうなったと思います?

3人とも死んでしまったのです。
人の「思い」は自分の生命すら止められるのです。それだけ「思い」の作用というものは身体にも強く働きかけるのです。
もうお分かりのようにこのマイナスの実例をプラスに応用することがどんな大きな力となるかは簡単に想像できます。如何でしょうか?

注意しなければいけないのはこの例のように「思い」が相当に強烈なものでなければ効果がないということだと思っています。体験的にも「軽い思い」が実現したことは一度もありません。

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<NO.8 「思ったことは実現する」 2  01/03/21>

前回「思ったことは実現する」という話を致しました。もう少し続けたいと思います。もう分かったと思われる方もいるかも知れません。でもこれは大切な部分ですので念押しが必要だと思っています。
さて、この世に有るものを見て下さい。
元々ある自然は別にしてそれ以外のものは人が思った上で出来あがったものばかりです。例外はありません。
電気、電車、飛行機、パソコン、レストラン、学校、会社、本、鉛筆、消しゴム、宗教、哲学、科学・・・

自然の力を利用したものはもちろんありますが全部いつか誰かが「作ろう」「考えてみよう」と思ったところからスタートしています。
ライト兄弟がいなかったら飛行機は今もないかも知れません。或いは違う兄弟。例えば山田兄弟が一生懸命空を飛ぶことに夢をはせて出来たかも知れません。
いずれにしても「思い」が実現した結果が現実の世界と言うことです。 つまり、何かが実現するためには何は無くともまず「思うこと」から始まることはご理解頂けると思います。でも少し思ったくらいで出来るならライト兄弟も苦労しなかったでしょう。

聖書にも「叩けよさらば開かれん。求めよ、さらば与えられん」と言う有名な言葉があります。でもあのこころは「叩き続けよ!さらば・・・、求め続けよ!さらば・・・」という意味合いです。簡単ではありません。
「強い思いで追い求めること」が現実を動かす原動力になるのでしょう。私はこれを信じていますし、実践しつづけているつもりです。

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<NO.9 「あなたの夢は?」  01/03/27>

僕の夢のひとつは25年続けてきた芝居の舞台に再び立つことです。もうずっとこの3年くらいはそれが実現したときの自分の喜びを映像化して眠るようにしてきました。(イメージ療法の実践)
眠る前に僕はこの3年間こう願い続けました。「私は2年後、200人の観客の前で両手を広げて完璧な台詞で舞台を輝かせる」です。
そして、スポットライトの中で汗の混じった自分の唾が飛沫をあげているのが見えます。観客席は「笑い」で波だっています。「やったー」と心の中で叫ぶ自分が見えてきます。

昨夏、練習に参加してみてようやく「本当に出来るかも知れない。」という気持ちが出てきました。まだ言語障害、感情障害、左麻痺が残っているのにも関わらず不思議に気持ちが変わってきました。

この数年間は自分の「麻痺した姿」を芝居仲間にさらすことにかなり抵抗がありました。誰よりも上手く芝居をするのに絶対の自信を持っていた からです(傲慢ですね)。
でも一昨年から少しずつ練習に参加して「自分ならこう演技する」と皆に堂々と言うようになってから次第に意識が変わってきました。
もちろん実際自分では出来ませんし、それを言葉で伝えるのは並大抵のことではありませんが・・・。拙い僕の言葉に耳を傾けてくれた劇団の仲間には深く感謝しています。
公演前には結構ハードな練習が続きましたが、疲れるどころかむしろ元気が出て来るから不思議です。

最近、僕は「麻痺治しにこだわりすぎる」のではなく「麻痺を治して何をしたいのか。」という夢を持つことの方がずっと大切だとつくづく思うようになりました。結果的にそれが病から脱する最善最短の道ではないかとさえ思っています。

さて、あなたの夢は何ですか?

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<NO.10 「泰然自若」  01/03/28>

昔の武士の教育の一番大切なことは「泰然自若」を身につけることだと聞きました。 刀を身につけて歩く以上彼らは常に「死」と隣り合わせに生きていたに違いありませ ん。何が起きても動じない心を身につける。言うは易く行うは難しですね。普段こう いう状態の中で生活したことのない僕らは鍛錬の場がありません。常にTVや新聞で 騒ぎ立て書きたてる情報の洪水にさらされて一喜一憂して心が休まる間もありません 。昔の武士には「武士道」という美学が精神的な支えとしてもあり、それの実践的な 姿の一つが「泰然自若」なのだと思っています。
最近「気」のことが日常的にも使われますが「泰然自若」のことは「気が静まった」 状態と言えます。僕らは普段は権威者の言葉やマスコミの力によって「気が上がって 」ばかりいますがこんな気持ちでは病気はもちろん何に対しても正しい対処は出来な いに違いありません。

僕も社会復帰の途上色んなことに気持ちがかき乱され、体調を崩したことが何度もあ ります。振り返ってみればその時「泰然自若」とは全く反対の心の状態でした。 ではそんな気持ちになるにはどうしたら良いのだろうか?
僕が考えたことはNO.6でも触れましたが・・・

1.人との相対的比較の中で自分を位置付けないこと
2.損得だけで自分の人生を判断しないこと

を実現することが大切だと思っています。

僕はこれまで「生きる」にあたって基準や規範が無かったことに愕然としました。振り返ればずっと闇の中でもがいていたようなものです。自分は一体これまでどう生きてきたのだろうかと自問すればするほど「誰か周りの人との比較」か「目先の損得」でしか考えてこなかったと思います。あなたはどうですか?
自分以外を信じず、権威やお金だけを信じていたのではないだろうか?
大病してみるとそれは「部分」であることに気がつきました。40才を越えるまでこんなことに気がつかないとは何て鈍いのでしょう。

まず自分を取り戻すためには「気を静める」心の状態がまず先決だと考えるようにな りました。
「病から何をもらったか」はここで一旦終わりにします。そして、「気を静める」に発展的に引き継いでいきたいと思います。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
ではまた お元気で!

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